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並ぶ霊柩車

昨日、ほぼ同時刻に二人の患者さんを看取った。もちろん二人は何の関連もない他人である。ただ、同じ病院、同じ病棟で、同じ時刻に亡くなったということだけだ。一人の宣告の直後、もう一人の心電図モニターもarrest(心停止)のアラームが鳴った。私は、特に驚いたわけでもない。以前にも同じことはあったからだ。何と言っていいか分からないが、あの世に行きやすいタイミングがあるのだと思う。

数多くの患者さんを看取ってきたが、今だに涙がうるんでしまうことがある。別に、悲しいわけでもない。治療の甲斐なく亡くなるのが医者として悔しいわけでもない。内科はほとんどが高齢で不可逆的な状態である。ではどうしてか・・・、それは、あたたかい家族に見守られ、「一緒に生きてくれてありがとう。育ててくれてありがとう。」と感謝され旅立って行く、すばらしい最期に感動するからである。そういう最期の大切な場を作ってあげられるのが医者の役目だと思うが、なかなか人の死期を予測するのはむづかしい。もうそろそろと言って一週間頑張られる患者さんがいたり、何の予兆もなく突然逝かれる患者さんもいる。家族が患者さんの死を受け入れられる時間をつくってあげるのも医者の仕事である。そのためにも、私は僅かな延命治療もあっていいのではと思う。死を受容するための治療。

診断書も同時に二人分記載し、お迎えの時には霊柩車が2台並んでいた。ベット数の少ないこの病院で、しばらく看取ることはなさそうだ。
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2009年09月14日 | Comments(2) | Trackback(0) | 日記
コメント
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  2012年11月06日 17:38:14 編集
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  2012年11月23日 07:09:15 編集

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